風化との戦い

2023年1月6日の日本経済新聞に興味深い記事が載っていました。

動物園、問われる安全教育

栃木県那須町の「那須サファリパーク」で昨年1月、飼育員3人が雄のベンガルトラ「ボルタ」に襲われ負傷した事故から5日で1年となった。県警は人為的なミスがあったとみて、業務上過失傷害容疑で捜査を続けている。園の再発防止策はまとめられたが、そもそも既存のマニュアルが守られていれば被害は防げた可能性がある。過去に事故を経験した別の動物園関係者は「マニュアルの作業手順の意義を、十分に理解させる安全教育が重要」と指摘する。

(中略)

同園では1997年と2000年にも飼育員がライオンに襲われ負傷し、安全管理体制を強化してきた。県動物愛護指導センターが情報公開請求に開示した園の「飼育手順マニュアル」では肉食動物の作業は必ず2人で行い、収容時には「動物用通路に出ている動物を1頭ずつ獣舎に入れる」「獣舎に入った動物を再度確認」するなどと明記されていた。

昨年1月の事故後、立ち入り検査をした同センターの担当者は「マニュアルの不備というより、それを順守した動きが周知徹底されなかったのではないか」と指摘する。

安全管理に関するマニュアル自体は存在していたが、
「マニュアルの規定が共有されていなかった」、すなわちオペレーションに問題があったようです。

日本の場合、伝統的に(?)マニュアルを整備することが苦手な企業が多く、「マニュアル自体が存在しない」という最悪の状態にあるところが大部分ではないでしょうか?

「簡単な言葉で指示をすれば、誰もがそのとおりに行動するはずだ」という、人間に対する画一的な思い込みが、マニュアル不存在組織の根底にあるように思えます。

「一を聞いて十を知る」人も、たしかにごく稀に存在しますが、
「十言われたことを、六実行してくれれば御の字」というのが、現実的な実感かと思います。

しかしながら、「労働災害」や「刑事罰対象となる法律違反」の場合、「十言われたことの六だけ履行」では、明らかに不足と言わざるを得ません。

同じことを言われたとしても、それを受け止める個々人の理解は、必ずそれぞれ異なることになりますので、「絶対に外してはいけないポイント」をマニュアル上で明示する必要があります。

私が思うところでは、マニュアルが存在してもそれが顧みられていない理由は、

  1. どこかの組織のマニュアルをコピー&ペーストしただけの「お仕着せマニュアル」
  2. 「とにかくマニュアルを作れ」という乱暴な指示の下で作られた「欠陥マニュアル」
  3. 過去に作られたマニュアルを一度も改定せずに使い続けた結果、信仰の対象のようになってしまった「不磨の大典マニュアル」

等に大別できます。

いずれも、構成員がマニュアルの規定を遵守する必要性やメリットを感じにくくなっており、遵守状況を確認する機会が無いことが共通しています。

一番重要なことは、
「他人事」ではなく、「自分のための行動」と理解してもらうためにも、
マニュアルの適用対象となる人たちに、マニュアルの策定や改定、遵守状況の確認等に、関与してもらうことが不可欠ということです。

そのための取組みとして、日本経済新聞の記事では、同様の死亡事故を過去に起こした京都市動物園の事例が最後にまとめられています。

同園が再発防止のために努めてきたのは、飼育員の安全意識が緩まないことだ。マニュアルがあることに安心せず、作業手順を順守する必要性を考える研修を実施。毎日朝礼で安全管理を徹底するほか、事故が起きた6月7日に毎年現場近くで追悼し、定期的に園全体でも振り返りを行う。

作業手順も据え置きにせず、園で発生したヒヤリ・ハット事例をもとに見直し、毎年更新している。坂本園長は「なぜこんな手順を組み作業をするのか、という意義を十分に理解しなければ事故は防げない」と訴えた。

「なぜこんな手順を組み作業をするのか、という意義を十分に理解しなければ事故は防げない」
「仏を作って魂入れず」では意味がありませんので、「魂」にあたる「マニュアルを遵守する意義」を、常に説き続けるしかないということですね。

この価値観を伝承していき、日本の新たな伝統へと昇華させたいものです。

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