未知の存在への恐怖

私自身は廃棄物処理業を営んでおりませんが、お客様の多くは廃棄物処理企業であるため、施設周辺の住民の方たちに事業計画を説明する機会がまれにあります。

その際に、なかなかに強烈な侮蔑の言葉を投げつけてきた方の数は一人や二人ではありません。

曰く、「放火魔」や「事業場ができると不逞外国人の巣窟となる」etc・・・

言うまでもなく、すべて事実無根の中傷でしかありませんが、よくぞそこまで他人に悪意を向けられるものだと驚嘆しました。

「普通の事業を、普通に説明しているだけなのに、その説明を一切理解しようとせず、なぜ蛇蝎のごとく嫌うのであろうか?」が、長年の個人的な疑問でした。

もちろん、その理由の一端は、「恐怖」や「同業他社のかつての違法行為」にあることは理解していますが、「絶対に事業化を認めない!」という強固な意志はどうやって形成されるのかがわからなかったのです。

最近、ジャレド・ダイアモンドの「昨日までの世界」を読了し、ようやくその疑問が解けました。

知らない人を理解しない、あるいは積極的に排斥しようという心理は、
原始社会においては、基本的な行動原理だったそうです。

なぜなら、原始社会では、全員が顔見知りというコミュニティで暮らしているため、見知らぬ人と遭うということは、見知らぬ人が何らかの意図を持って、自分たちのコミュニティに押し入ってきた可能性が高いことから、即座に追い返すか攻撃をする必要があった、とのことです。

時代は流れ、見知らぬ人と道でフツーにすれ違うようになった現代社会においても、有史以来根付いた原始社会的反応を示す人が一定数存在するのも無理ありません。

問題は、そのような「絶対反対」の人に受け入れてもらう方法ですが、
「見知らぬ人(会社)」から「仲間」あるいは、少なくとも「既知の存在」として認知してもらう必要があります。

「仲間」にせよ、「既知の存在」にせよ、場合によっては、かなりの時間を掛けないと受け入れてもらえないケースが多いかと思います。

具体的には、「安全性」と「遵法性」をどうやって納得してもらうかということです。

一朝一夕には進まないことがほとんどですので、経営者の覚悟がもっとも問われる局面となります。

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