斬新な不法投棄の動機

2021年8月31日付 京都新聞 「「遺品整理に便乗した」県職員が不法投棄 空き家敷地に家財道具、容疑で書類送検

 他人の敷地に家財道具を不法に投棄としたとして、滋賀県防災危機管理局の男性主任主事(31)が7月、廃棄物処理法違反の疑いで滋賀県警高島署に書類送検されていたことが30日、捜査関係者への取材で分かった。

 書類送検容疑は、6月上旬、高島市内の空き家の敷地内に、IHの調理器具やこたつのテーブル、アルバムなどを不法に投棄した疑い。

 捜査関係者によると、主任主事は容疑を認め、「空き家で所有者が遺品の整理をしていたので便乗した」との趣旨の供述をしたという。

「空き家で所有者が遺品の整理をしていたので便乗した」とは正しい日本語なのでしょうか?

翻訳サイトで英単語を個別に直訳されたような違和感があります(笑)。

「遺品整理に便乗して」「ゴミを不法投棄」の間には、直接的な因果関係が成立していないように思えます。

「こたつのテーブル」や「アルバム」等は、最寄りの自治体で無償、あるいは低廉な価格で引き取ってくれる廃棄物ですが、
それらを前後の見境なく、躊躇なく他人の敷地に捨てたということは、
かなりの精神的ストレスにさらされていた、あるいは適応障害を抱えていたために、正常な判断ができなくなっていたのかもしれません。

フツーの人ならば、遺品整理の光景を見たとしても、
「あぁ 遺品整理してるのね」で終わり、次の瞬間には「今日の夕食には何を食べよう」等とすぐに別のことを考え始めます。

しかし、この方は、遺品整理の光景を見て、
「お!俺のゴミも捨てられそうだ」
「今すぐスッキリしたいので、すぐにゴミを取りに行って、捨ててしまおう!」と、
他の思考や行動の可能性については一切目が入らない「猫まっしぐら」状態で、
不法投棄に臨んだものと思われます。

遺品整理という「刺激」に対し、一般的な人間とは大きく異なる反応をしてしまう状態は、ひょっとすると、本人の意思では如何ともしがたいのかもしれません。

こうして考えると、社会的には望ましくない行動を瞬時に選択してしまう状態は、本人にとっても、社会にとっても望ましいものではないので、医療機関で適切な診断をしてもらう必要がありそうです。

実際のところ、営利目的で冷静に(?)不法投棄をする人間であれば、「アルバム」を捨てることはあり得ないでしょう。

普通アルバムというと、「自分や家族が写った写真」が中心となるため、不法投棄実行者につながる強力な証拠を自ら現場に残すことになるからです。

ここに書くのが憚られるような反社会的な写真をコレクションしたアルバムなら話は別ですが、その場合でも、不法投棄実行者の性向や暮らしぶりを示す証拠になります。

かように、アルバムや手紙を捨てることは、不法投棄実行者にとってリスク以外の何者でもないのですが、
実際の不法投棄現場においては、こうしたパーソナルな情報を多く含む廃棄物が捨てられることが決して少なくありません。

不法投棄は、モラルの問題でもありますが、「刺激に対する反応」が不適切という意味において、改善や治療が必要な疾患的状態とも言えます。

しかしながら、不法投棄その他の犯罪を起こさない限り、「刺激に対する反応が不適切」という状況に、周囲の人間が気づく、あるいは問題視する可能性が極めて低いことも事実です。

犯罪を起こす前に社会的なケアやカバーができると理想的ですが、そんな社会は実現不可能な夢物語なんでしょうか?

この問題について考えるための参考図書として、
ケーキの切れない非行少年たち」を挙げたいと思います。


この本で書かれている認知機能の歪みが、大部分の犯罪の端緒になっているように思います。

この本は主に非行少年の認知能力の問題について書かれていますが、
非行少年ならずとも、認知の歪みが個人の問題、あるいは資質として放置されたまま大人になってしまい、
不法投棄等の後先考えないアンモラルな犯罪を、いともたやすく実行してしまう素地にもなっているのではないでしょうか。

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