私の人生を変えてくれた上司 Vol.1

公務員を退職して早6年が経過しました。

お陰様で宮勤め時代よりも充実した日々を送らせていただいておりますし、
お客様にダイレクトにお喜びいただけることで、自分の仕事の意義をかみしめる毎日です。

収入面が安定していた公務員を辞めたことに一切の悔いはありませんし、
貴重な経験を積ませてくれた兵庫県には感謝の念しかありません。

ただ、独立して残念に思っていることが一つだけあります。

それは、「頼りになる上司」がいないということです。

こればかりは、再度宮仕えをしない限り、永遠に得ることはできません。

現実的には、年齢的に再就職は不可能ですが(笑)。

公務員として働いた10年間を振り返ると、
一吏員として大きなパフォーマンスを発揮したことが何回かありますが、
その時の状況を考えると、度量の大きい上司の存在抜きに成功体験は有り得ませんでした。

もっとも、そのような度量の大きい上司というのは、そんなにたくさんいらっしゃいませんでした。
私の中では、10年間でたったの3人です。

今回書くのは、3人のうちの最後の1人。イニシャルをBossのBさんとしておきます。

Bさんに仕えたのは、平成13年(2001年)度の1年間のみでした。

平成10年度から平成12年度までの3年間、私は兵庫県庁の水質課で勤務しておりました。

水質課は環境関連の担当課ですが、私は技術職ではなく、事務職でしたので、
水質問題を話し合う団体や組織の運営に携わっておりました。

そして、平成13年度に兵庫県宝塚市に新設された阪神北県民局環境課に異動となりました。

上述したように、私は事務職でしたので、
「出先機関なら県庁よりも気楽に仕事ができそうだな♪」と夢見て赴任をいたしました。

しかし、私が夢見ていたバラ色公務員生活は、初日からBさんの発した一言で無残に打ち砕かれました。

「尾上さんは水質課にいたから、今日から産業廃棄物の担当な」

「え!? 確かに水質課にいましたけど、事務仕事しかしていなかったので、廃棄物のことは全然わからないんですけど・・・」

「大丈夫 大丈夫 ほな頼むで」

と、有無を言わせず、私の1年間の仕事は決まってしまいました。

そして、新設の機関であったため、段ボール箱に入っていた書類をロッカーに詰め始めたところ
4月1日の10時過ぎに、いきなり2名の強面が訪問してきました。

年長の方は、サングラスをかけたスキンヘッド
若い方は、目つきの鋭い凶暴な雰囲気を醸し出した男性でした。

組織体制が整っていない初日を狙ったのかどうかはわかりませんが、
少なくとも、強面2人の登場は、環境課の面々を混乱に陥れました。

「お前が対応せい」と目くばせをしたり
下をうつむいて強面と目を合わせないようにしている人もいました。

自分たちの登場が引き起こした混乱に満足したのか
強面はおもむろに訪問の意図を告げ始めました。

「お前ら 不法投棄している業者を放置する気か!」

水質課には強面の相談者が来ることは皆無でしたので、
「これはとんでもない職場に配属されてしまったぞ・・・」と初日から後悔することになりました。

(続く)

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