資源の国内循環を永遠に続けられるのだろうか

本日(3月27日)の日本経済新聞に、環境省が全面広告を出していました。

iPadの画面を撮影した画像ですので、見にくくて恐縮です。

広告デザイナーの方が見ると、「手抜きデザイン」といいたくなる広告ではないかと思います(笑)。

ロゴに意外性や、具体性がまったくありませんし、
書かれている文字が小さすぎるので、まるで「謝罪広告」のようです(苦笑)。

これで全国紙の1面広告ですから、
全国紙5紙すべてに出稿した場合、数千万円単位の血税を無駄遣いしていることになります。(-_-;)

ロゴやデザインのセンスのなさはさておき、
広告の主眼である、「日本のゴミを、国産循環資源に。」という標語の是非を論じたいと思います。

日本国内での完全循環を目指すのは、理念としては美しいものかもしれません。

しかし、内需が拡大どころか、縮小していくのが明らかな以上、国内循環を徹底したところで、リサイクル品の利用先が限られてきます。

その結果、コストをかけて集め、エネルギーを消費してリサイクル品を一生懸命作ったのに、それが“ゴミ”となる。

部分最適ではなく、製品の処理方法まで見据えた制度設計をしないと、問題の本質を見誤ることになります。

広告で取り上げているPETボトルなどは、その典型的な例と言えるでしょう。

国内で100%リサイクルしたとしても、それに見合った需要が国内にないのであれば、いずれ制度は破たんします。

中国でも適切にリサイクルできるものについては、国内で使用されない分をドンドン輸出するのが正解です。

それに、(高額ではあるが)高度な設備を必要としない技術については、海外勢力のキャッチアップにより、すぐにコモディティ化してしまいます。

聞こえの良い理念のみで、コモディティ化の進展に対処するのは不可能です。
理念でコモディティ化の流れを止めることはできないからです。

しかしながら、小型電子機器に関しては、広告に掲載されているとおり、
現状では日本国内のリサイクルを目指すのが良いと思います。

基盤の野焼きなど、危なっかしい処理が横行している現状では、国外に出すべきではありません。

しかし、小型電子機器のリサイクル技術でさえ、いずれはコモディティ化するのは間違いありません。

技術がコモディティ化してしまうと、人件費が高い日本には競争力がありません。

今のうちに、将来を見据えた準備をしておく必要があります。

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