市民感情とはどの市民の感情なのか?

中日新聞に、大津市が「ペットの死体」を廃棄物処理の対象から外すというニュースが掲載されていました。
ペット死骸回収で市条例改正 大津市が市民感情に配慮

大津市は、ペットの死骸(しがい)を回収する際、死骸を「廃棄物」と規定していた従来の市条例を改正する。関連議案を市議会定例会に提出。「市民感情に配慮した。全国でも珍しい改正では」と話している。
大津市では市民からペットの死骸の引き取り依頼があった場合、委託業者を通じて回収し市斎場の動物専用火葬炉で火葬している。引き取る際はごみ回収車は使わずに乗用車で家庭を回る配慮もしている。
ただ、ペットの死骸の回収業務は市の廃棄物処理条例に規定。分別パンフレットに、死骸回収の問い合わせ窓口に一般廃棄物を扱う市のごみコールセンターが記されているため、市民からは「ペットをごみと一緒に処分するのか」と誤解した問い合わせが寄せられていたという。
そこで、動物の死骸の収集・運搬に関する規定を、廃棄物処理条例から一般の手数料条例に移し替える。問い合わせ窓口を市の環境美化センターに移す。
市の担当者は「実際はこれまでも廃棄物のように扱っているわけではないが、法令上きっちりしたいという思いはあった。市民感覚からすれば条例改正は当然だ」と話している。

私も「市民」の一人ですが、ペットが死んだとき、その死体を回収してもらうために、市の焼却場に電話をして、家まで引取りに来てもらいました。
ペットの亡骸を埋めてやる庭や、動物霊園で供養するつもりがなかったため、「廃棄物」として引取りを要請することにためらいはありませんでした。
そのとき、市の担当者は、「ペットの亡骸は、通常の焼却炉とは違う炉で燃やします」と説明してくれましたので、こちらは死体を回収してもらうのに何の抵抗もありませんでした。
その経験からも言えるのですが、大津市が懸念している「市民感情」とは、一体誰の感情なのかよくわかりません。
なぜなら、行政にペットの死体の引取りを要請している以上、自分ではペットの死体を扱えないことがよくわかっているはずであり、その時点になって「廃棄物扱いしないで!」と抗議する人がそんなに多いのでしょうか?
多くの自治体では、ペットの死体を通常の廃棄物とは違う方法で「処理」しているはずであり、「廃棄物処理条例」に基づいてペットの死体を回収するかどうかなどは、誰も気にしていないはずです。
「市民感情に配慮した条例改正」というのは、単なる言葉の遊びのように感じられます。
条例をどう取り繕おうと、自分で扱えないペットの死体は「廃棄物」でしか有り得ません。
他人の手に渡すのが忍びないのであれば、自分で動物霊園に持ち込み、そこで供養をしてもらうしかありません。
単に、市の問い合わせ窓口を変更しただけで得意になっている行政担当者の姿勢には、大きな違和感を感じてしまいます。
「市民感情に配慮した」言葉遊びは、廃棄物に対する市民の関心を失わせるだけの自己満足に過ぎないのではないでしょうか。
「廃棄物」という用語自体に問題があるのも事実ですが、行政・市民が、廃棄物という言葉で思考停止に陥るのはそろそろ止めにしませんか?

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